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「オカルト」とは
そもそも「隠されたもの」という意味のラテン語。本コーナーでは、鏡リュウジが気になる「オカルト」的なことをお題に選んで掘り下げていきます。

オカ研 File No.3 そもそもオカルトって何? 2
2011/11/7



現代のような意味での「オカルト」という言葉の使われ方には系譜があって、実は中世の頃には既に現代に通じる文脈で使われています。自然哲学の中で「オカルトバーチュー」とか「オカルトクオリティ」という言葉が出てくる。

バーチューというのは、英語で「徳目」という意味だけど、そのほかに「力」とか「性質」、「働き」というニュアンスもあるよね。

アリストテレスの流れを受けた自然哲学では、事物、物質がもっている性質や働きのことをいろいろ考えていたんだけど、中世の自然哲学ではこうした事物の性質をエレメントで考えてた。火、水、土、風の四大エレメントね。

例えば「火は熱い」ということって、考えてみれば不思議なことだけど、熱いからこそ火は炎を起こしてものを「燃やす」という力が備わる。その本質は熱にして乾いていること。まぁこういうエレメントとしての作用は、五感の範囲内で確認できるから分かりやすいよね。見たまんまだから。手でものを押して動かしても、それは不思議ではない。

ところがある薬草を飲んだら病気が治るということは、「火は熱い」ということとは違って、直接的にはわかりにくい。目で見たり、手で触れたりして五感で感じることではないからね。典型的なのは磁石でしょう。触れていないのに鉄をひきつける。磁気の力は中世には知られていなかったから、これはまさに事物に秘められた力、性質としてのオカルト・ヴァーチューとして考えられたわけ。


オカルト(occult)の語源はラテン語の「隠されたもの」ですしね。まさに自然の「隠された能力」。


そういう五感で感じることのできない、磁石の働きような現象を説明しようとしたのが一種の自然学だった。そして、ルネサンス期に「オカルトバーチュー」が体系化されていって、16世紀にはついにアグリッパが『オカルタ・フィロソフィア』という本を出します。

いわゆる『オカルト哲学』だね。彼もやはりものの秘められた性質を論じようとしたわけだけど、そこで占星術や手相、カバラ、護符など、今でいうまさしく「オカルト」的世界を片っ端から網羅していった。

その中にはルネサンスに蘇った新 プラトン主義やヘルメス思想、カバラの世界観が詰まっているんだけど、彼はその実用的な部分まで書いちゃったから、キリスト教圏の世界ではかなりアブナイことをやっていたんだよねえ。


もともとはフィチーノがメディチ家の庇護下で『ヘルメス文書』を復活させたのがルネサンス期のオカルティズム興隆のきっかけだったんですよね。とは言え、フィチーノはかなり穏健で、「オカルト」の哲学的なバックボーンをつくって、ハーブや音楽なんかの利用を推奨するところまではしたけれど、実際的なオカルト魔術の使用にはあまり踏みこまなかった。つまり、アグリッパはフィチーノより大胆な末裔だったということになりますね。


うん。で、やっぱりこのルネサンスというのが「オカルト」にとっては鍵になる時代なんだよね。ヘレニズム時代に成立したヘルメス文書や新プラトン主義のテキストがルネサンス期に復活して、ヨーロッパの思想や信仰の中心であるキリスト教と積極的に結びつけられるようになったんだから。これは大きい。


そういえば、ヘルメス文書はヘレニズムの間に成立してましたけど、フィチーノら15世紀の学者たちはそれがもっとずっと前のものだと間違って理解していたんですよね?


そうそう。まあ長らく失われていたものが、いきなりポンと出てきた訳だからしかたないかも。当時は古いもののほうが正統的で権威があるというふうに考えられていたわけで。この時代考証の「間違い」がヘルメス文書をさらに流行させ受容させることになる。


さらにフィチーノの手によってそれらがギリシャ語からラテン語に翻訳され、西ヨーロッパのラテン語圏の人たちの目に触れるようになったことで、その驚きが一つのムーブメントになっていったわけですね。


●星を通してオカルト(見えない)世界を知る



あと、その背景として、イスラム圏の人たちの台頭があったということも忘れちゃいけない。いわゆるコンスタンティノープル陥落を経て、東西のキリスト教会が手を結んだんだけど、その時に、ラテン語文化の西ヨーロッパ世界へギリシャ語文化の文献が一気に入ってきた。15世紀半ばで。そのひとつが『ヘルメス文書』。

当時、フィチーノなんかは、プラトン的なものとキリスト教を融合させようとしていた。こんな乱暴な言い方をすると哲学者の方に怒られそうだけれど、プラトニズムは「五感でとらえられる世界は一種の影で本当のリアリティはその背後、感覚を超えたところにある」というふうに考えるでしょう? その本当のリアリティが「イデア」なわけで。その考え方を敷衍すると、プラトンは非常にオカルト的な人だということになる。

ルネサンスの魔術師たちというのは、結局そんなイデアの世界と感覚の世界とを結ぶ、「オカルト的性質」をもつスピリットを操作しようとしていたといえるのかも。

星の世界はイデア的世界。神の世界と地上世界の媒介でもあったから、必然的に占星術は大事になってくる。つまり、もともと星の世界って、目に見えるこの地上世界と感覚ではとらえられない神的な世界の間に立つメディア。

感覚でわかる世界とそれを超えた世界はそのままではつながれない。だから「媒介」が必要なわけだけれど、星の世界は、地上世界つまり感覚の世界と、五感を超えた抽象的な世界の中間に位置しているからこそ、星を通して見えない、オカルトな世界を知ることもできるということだったのかな。


シュタイナーの日本への紹介者である高橋巌先生なんかは、プラトンの考えが根ざしているのは、エジプトとギリシャの秘儀文化だったと指摘してますね。西洋に流れてきたオカルト的な知の底流にあるものは、元をたどれば秘密結社における秘儀的なものだったと。

そういう意味では、ルネサンスの魔術師たちは、キリスト教圏において実行不可能となった古代の秘儀を、星の世界のような媒介領域の力を借りてこっそり再現、模倣しようとしていたんだと思います。ある意味、実に適切な判断ですよね。


ああ、そうか。ひとつわかった!「オカルト=反理性」というステレオタイプの何が違うか。70年代オカルトは産業社会に対してのアンチであるというのはある種あたっているけど、歴史的系譜のなかでは非理性ではなく、あくまで高度な理性を追求しようとしたのがオカルトなんだ。


ニーチェが『悲劇の誕生』でアポロ的、ディオニソス的という概念を打ち出しましたが、秘儀にもアポロ的秘儀の流れと、ディオニソス的秘儀の流れと二つあって、アポロ的な秘儀はある意味とても合理的ですね。占星術のように星々を通じて背後にあるイデア世界の開示を目指すという流れは、外なる世界へ目を向けて秘密を解明しようというその後の近代科学の考えに近い。

逆にディオニソス的秘儀は、無意識の底にどんどん降りていって、底の方に眠っているものと自分をどう自己同一化させていくか、です。こちらは簡単にいうと、例えば夢日記をつけるといったことでしょうか。内側のベールをあけて中に入っていく訳ですから、パンドラの匣をあけるようなものですが。


ただ、シュガーくんのいう「内」と「外」のテーマはもっと考えるべきことかもしれない。これって、実は深層心理学の誕生にもかかわっているし。何が「内」で「外」か、あるいは何を内側としているのか。あとで話すことになるだろうけど、秘教をさすエソテリックももともと、「内側」って意味もあるわけだし。対語のエクソテリックは「顕教」だけど外側の、でしょう? エクスタシー(外へ出る)は「法悦」だしねえ。これ、そのうち別のテーマでダベりましょう。内と外をお題にオカルト研究。

まあ、だから簡単には実際にやったらいかんのよ、どっちにしても。だから秘儀(笑)


その通りで、だからオカルトというのは本来、怖いものなんですよね。


●学問の対象となった「オカルト」



「オカルト」を近現代にうつすと、オカルティズムという言葉が生まれたのは19世紀でエリファス・レヴィあたりからだというのが研究者の指摘。術としてのオカルトというだけではなく、主義としてのオカルティズム。ロマン主義とわかちがたく結びついているといってもいいよね。

で、学問的研究が始まるのは90年代に入ってから。そのときにオカルティズムというと狭すぎるとなって、エソテリシズム=秘 教研究というふうにジャンルが固まってくる。まあ、その前から美術史や文学史を中心にワールブルグ学派のフランシス・イエイツなどがいたんだけど、より直接的に研究が始まって、最近ではずいぶん出版もさかんだよね。

現在の中心的な人物はアントワーヌ・フェーブル博士らでしょうか。ニューヨーク州立大学出版(SUNY)からもまとまって魔術研究の専門書がばんばんでちゃう時代だから、ぼくの学生時代とは雲泥の差だなあ。当時魔術研究なんていったら、指導教官は困っていたもんね。大学院時代の教授に「私をとるか、ユングをとるか選びなさい!」なんて詰め寄られたことがあって当時はビビったけれど、今だったら当たり前の研究ジャンルだもんなあ。まあ、ご心配していただいたから今では感謝しているけれど。


それはつまり、かつてのオカルティズム研究が今日ではエソテリズム研究という覆いをかぶりつつも盛んになってきているということですか?


いや、フェーブルなどはエリアーデの影響をうけて、エソテリシズムとオカルティズムは違うと言ってるんだわ。エソテリシズムのほうがカテゴリーとして大きくて、オカルティズムはその実践的な側面だってね。でもそれを分けることの意味ってあるのかしらと僕なんかは思うけれど。

これって、魔術や呪術の背景となるのは高度な哲学だけど、実践したら下賤なかんじになるって先入観感じない? そのへんなんというか、音楽理論と演奏をわけてどうする、みたいに思っちゃうな。いまはどんなふうに言っているか、知らないけど。


オカルト文化を全部とらえると、ラスコー洞窟の壁画もひとつの呪術ですよね。狩りに行く前にみんなで絵を見てもりあがる、ひとつの願望達成ともいえる。それが、エジプトやギリシャという時代を経て文化や秘儀となってイスラム圏の人たちに受け継がれ、プラトンやアリストテレスの復活を経て理論化されていく。

ルネサンスで花開くけれど、その一方で科学革命から産業革命が起こり合理主義や啓蒙主義があり、それを踏まえつつ、理性を通してもう一度みようというエソテリズムに行く流れでしょうかね。


その歴史観ができるのは近代科学が成立したあとだよね。オカルトはオカルトとして成立した時代だから、立ち位置が違う。またすでに見たように、70年代以降のオカルトって大いに商業化もされているしね。

ああ、そうだ、1972年にジャーナリストのナット・フリードランドが『オカルト・エクスプロージョン(オカルト爆発)』という本を出したのを忘れていた。ずいぶん話題になったらしいよね。リアルタイムじゃないから知らないけど。

アメリカで当時流行っていた魔術とか星占いを全部集めレポートした本。本の後ろカバーに乗っている著者近影はいかにもというかんじでコスプレした写真。アメリカで「オカルト」が大ブームになっているとセンセーショナルに取材した本で、70年代の日本のポップ・オカルト・ジャーナリズムのタネ本になっていたように思う。

占星術にもちゃんと一章さかれていて、いまのように楽しい文章で書かれた「星座占い」の先駆であるリンダ・グッドマンの本の紹介と、リンダとの会見録もあって面白いの。かなり煽り的な本だからマトモに出てくる「オカルト信者」「占星術信者」の数などのデータを信用することはできないけど、この本の著者は面白いことを言っています。

「オカルトの伝統は先史時代の人間が星空の地図を洞窟に描き、星の神々からの信号を読み説こうとしたころにさかのぼる。しかし、このようなオカルト爆発は、近代以前、産業化以前の社会には存在したことはない。オカルトの伝統は、この時代に初めて高度なテクノロジーと結びつき、またそのオカルト的思想が大衆のなかに公開されはじめたのだから」

産業化、近代化してはじめて、「オカルト」が爆発したという指摘。もっともこのころはカウンターカルチャーとしての役割が大きかったから、かなりおどろおどろしいかんじだったようだけど。



●「リア充」にオカルトは必要ない!?



なるほど。でも、社会適応の内側で満足してる限りはオカルトは必要ないですよね。立派な仕事をしていて愛をもって社会貢献をしている、いわゆる言葉の通りの意味での「リア充」の人たち。


ああ、じゃあ、全部もってるくせにハマる人たちはオカルトではなくニューエイジかな?(笑) 魔女とかは「リア充」ではないってことかしら。


確かに(笑)まぁ僕は好きでやっているんですけど、オカルトって本当に必要なのかっていつも思ってるんです。その視点がな いとマッドになっちゃうかな、と。


まあ、恐れは必要だとは思うけどね。


ですね。ただ同時に、オカルトを知っていくこと、ベールの背後を見ていくこと、それがどういうふうな合目的とか着地点になっていくのかな、とも思うんですよ。パワーとかそういうものに還元させていくとしょうもないですけど。


オカルトの魅力って、それがenchanting(魅惑的)っていうだけではダメなのかな?


うーん、一方向のベクトルとして放った矢が戻ってこないのか、或いはそれが円環運動に成り得るとしたら、どこの方角からどういうふうに戻ってくるのかなとか考えてしまうというか……。


自分が豊かになるとかそういう言い方もできるけど。あまりそれすら求めないほうがいいような気もするけど。


数学でもすぐに役に立つことこそくだらないという考えもわかるんですけどね。古来、上なるものと下なるものとの照応って考えるわけで、世界には必ずふたつの側面がある。秩序だった側面がある一方で、カオスの側面がある。ふたつの系譜をもちながら大宇宙と小宇宙が照応して、人間をたとえばディオニソス的方向で掘っていったとき、その二つがつながるところがどこかにあるんじゃないかな、と。

それが秘儀の円環運動の基本として考えられてきているというイメージを持っています。それはいろんな図形なり寓話なりに象徴的に表現されてきているけど、それが現代ではどのようにつながるのかって考えてしまう。


あんまりそこを最初に考えてしまうと、超人思考につながっていってしまうような気がするな……とはいえ、ものすごい修行した人たちが到達する境地も多分あるだろうけど


そうなると中庸ってことになるんですかね。それこそ、デルフォイの神託は二つありますよね。汝自身を知れと、分をわきまえろ。要は中庸ですね。

オカルトを簡潔な定義にしていくと、いままでの日常世界の中での見方、考え方以外のオルタナティブな考え方を見つけ出そうという志向性がオカルト的な考え方なんですかね?


ま、オカルトはそもそも「秘密」ですからねえ。答えをだしちゃったらだめ。オカルトは、役にもたたんのに人を引き付ける。それこそ、理由がわからない、隠されているのに人を引き付ける「オカルト・ ヴァーチュー」をオカルトそのものがもっているという証拠としておきましょうか。

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シュガー プロフィール

Sugar(シュガー)
1983年生まれ。サラリーマンを経て、占い師。現在、個人鑑定・講座・執筆活動中。
鏡リュウジとの最初の出会いは、「ユリイカ」に掲載されていたシュタイナー研究で著名な美学者・高橋巌氏へのインタビュー。この時に覚えた違和感が、占星術へハマるきっかけに。慶応大哲学科卒。男性占い師ユニットNOTFORSALEメンバー。

●特技はどこでもすぐ寝ること
●ソウルフードは中本の冷やし味噌ラーメン

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