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「オカルト」とは
そもそも「隠されたもの」という意味のラテン語。本コーナーでは、鏡リュウジが気になる「オカルト」的なことをお題に選んで掘り下げていきます。

オカ研File No.39 臨床心理士 東畑開人さんと「野の医者」を語ります【2】
2016/8/9

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臨床心理士 東畑開人さんと「野の医者」を語ります【2】
  東畑開人×鏡リュウジ
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■駐車場で「魂(マブイ)」を籠めていた



面白いところなんですが話がちょっと難しくなりそうなので、このあたりはまた別の機会に。沖縄の話をもう少し詳しく教えてくださいますか? 東京ご出身で京都の大学におられた東畑さんがどうしてまた沖縄に?


東畑
簡単に言えば、臨床心理士として精神科クリニックで働くために沖縄に行きました。これはほとんど偶然で、沖縄をわざわざ選んだわけではないんですけど、そうですね、星に導かれたのかもしれない(笑)まあそういう事情です。

クリニックでは薬物療法だけでは治らない患者さんに対して、心理療法とかカウンセリングというのをしていました。カウンセリングにも色々あるんですけど、僕の場合は今でもそうですけど、いわゆる精神分析的心理療法というのをやっています。



精神分析的心理療法。少し教えてもらえますか?


東畑
そうですね、教科書的に言うと、患者さんには、自由に話をしてもらいます。そうすると、その人が抱えている葛藤が、僕との関係との間に再現されていく。

たとえば、いつも恋人との間で一方的に捨てられてしまうとか、いつも見捨てられてしまうような人間関係が繰り返されていると思っておられる方がいたとして、僕とカウンセリングを始めると、僕に対しても「先生は全然私のこと考えてないでしょう」と感じるようになって、その人の抱えている問題が僕との人間関係に再現されていくんです。

その時に、その人は人生の中で同じことを繰り返していることがわかります。遡ってみたら、お父さん、お母さんと繰り返していたことを、彼氏との間でも、カウンセラーとの間でも繰り返す。

じゃあ、それについてじっくり考えていきましょう、もしかしたらいつもとは違う結末があるのかもしれない、そういう風に考えながら治療を行っていくのが精神分析的心理療法ですね。



転移、逆転移を使っていくということですね。その頃は、沖縄在住のかたがクライアントさんのメインでしたか?


東畑
もちろん、そうです。そして、これは沖縄だからだと思いますが、いわゆる「霊感」を持っているとおっしゃる患者さんが結構いました。



「カンダガ生まれ(霊能力が強い)」とか「セージが高い」なんて沖縄の方はおっしゃいますよねえ。そういう霊的リアリティが今でも普通に生きているように感じます。


東畑
そうです。文化なんですね。これは今、東京に住んでいるとちょっと信じられないんですけど、あっちに住んでいると、まあそういうのもあるよな、って感じがだんだんしてくるから不思議です。一度、僕が患者さんの目を見ないでふと壁を見ていたら、「先生も見えてるんですか」と言われたりしました。そうしたら、俺は見えてるのかもしれない、と思ったりしましたね(笑)。

でね、患者さんだけがそういう世界を生きているわけじゃなくて、そういう世界を生きている治療者の方もいっぱいいらっしゃるんです。

この本でも書きましたが、なかなか難しいなと思っていた患者さんが、ある時、「野の医者」のところにいって治療をうけたら良くなっていたことがあります。とても驚いたんですが、臨床的には良くなっているのは本当なんです。パラノイアでずっとサングラスをしないと外出できなかった人が、サングラスを外して面接に現れて、確かに不安が和らいでいるんですね。

それって、もしかしたら「かりそめの治癒」というものかもしれないですが、かりそめでも状態が良くなっているのは事実ですから、驚きました。聞けば、なんか6代前のオバアをなだめる治療を受けたみたいなことを言っているわけです。トンデモじゃないですか、でも確かに不安は和らいでる。そうなると治療っていったい何なんだろうかって思いますよね。



「医者半分、ユタ半分」。沖縄ではそういうんですって?(笑) 僕も沖縄出身の友人から話を聞いたことがあります。交通事故かなんかで魂(マブイ)を落としたって。生気を失ってボーッとしてしまった。それでユタのところにいって魂を込めてもらって治った、という話です。マブイ籠めというらしいです。


東畑
不思議なんですよね。けっこうみんなね、カジュアルにマブイを落とすんですよ。その沖縄のクリニックの駐車場でユタの人たちがきてマブイ込めをしているのを見たことがあります。精神科の駐車場でもマブイを落とすことがあるのか、とびっくりしました。診察の前だったのか、後だったのか、いや、僕とのカウンセリングで落としたんじゃないかとか(笑)



■精神病かどうかは結果論

東畑
興味深いのは、東京ではちょっと考えられないような、病むことと癒されることのパターンが沖縄では普通に受け入れられているってことです。例えばね、ユタの方というのは一回心を病んで、ユタのところで拝んでまわってそのうちにユタに弟子入りして、最後ユタになったら治るというシステムがあるんですね。しかし、ユタになれた人は精神病に見えたけれども精神病ではなかったとされますが、ユタになれなかった人は精神病だったとされるんです。



社会の中で受容されるかどうかですね。


東畑
そうすると精神病かどうかは結果論でしか判断できなくなります。



ユタの人も東京にきたら、一昔前なら祈祷性精神病と言われてしまう可能性があったんじゃないですか?


東畑
まさにそうです。文化が受け入れてくれることって、大事なんですね。病んで、癒されるって、自分と世界がうまく折り合っていくっていうことですから。

そう考えたときにユタになるというのもひとつの社会的位置づけであり、占い師になるとかニューエイジャーになるとか、なんらかの世界の中で自分を位置づけしていくわけだから、かりそめの治癒というのではなく、もう少し治癒概念を許容性をもって考えたいという意図があって本を書いたというのもあります。



でも、治療現場の世界では、理想とは違うから、事実上そうなっていると思っていたんですが、違うんですか?


東畑
なかなか難しいところがあるように思います。現場レベルではもちろん、色々なことが起こるわけですし、それを否定するわけにはいかないのですが、私たちは専門職ですから、「治癒とは何か」ということには強い規範があるように思います。学会レベルになると、さらにそうなります。

というのは、臨床心理学には様々な学派があるわけですけど、その中の精神分析にせよ認知行動療法にせよ、それぞれに心のモデルを持っているんです。その心のモデルから理解して、「健康とは何か」「病理とは何か」を定義して、それに則って治療を行っていくわけです。専門用語になりますけど、医療人類学者のクラインマンはそういうものを「説明モデル」と呼んでいます。健康とされる状態からどのように逸脱しているのかをアセスメントして、そこから健康な状態に向かっていく戦略を立てるわけですね。

でもね、これも難しいんです。臨床ってほんとうに色々なことが起こりますから。例えば医学自体は科学の基準で運営されています。実験をして、確かめてっていう手続きです。でも、医療となると、「術」の世界に入っていきます。医術ですね。催眠術とか、魔術とか、忍術と一緒です。あ、占星術も術ですね。人間関係の中で治療って行われますから、どこか「術」の要素が入ってくるんです。

だから、同じ治療をしても治る場合と治らない場合がある。病院というのは世界一奇跡が起こりやすいところなんですよ。「奇跡の治癒」といわれるようなことはいっぱい起こるんです。けれど、その奇跡を狙ってもう一度起こそうとすると、それはできない。



■「治った」とはどういうことか



再現性がないんですよね。そこはじつは占いとも一緒なんです。本当の占い師さんはそこのところをよく知ってるはず。占いは当たるようなことはあるけれど、いつ当たるかわからないし、どういうふうに当たるかわからない。


東畑
この部分が臨床心理学は比較的自分にシビアなんじゃないかと思います。自分たちがやっていることは思い込みではなくて、客観的なデータにして確認をしてみるという営みを僕ら臨床心理士はやるわけです。反省を重ねていくんです。でもね、それでもやっぱり難しい部分は残ります。どういうことが「治った」ことなのかというのが難しいんです。

認知行動療法は、比較的「治った」という基準がわかりやすいところなんですね。鬱のチェックリストの点数が減るとか、強迫症状が減るとか、そういうので「治る」を測定するんです。あらかじめそれを狙ってやるわけです。だけど、精神分析とかユング心理学は始めたときには終わり方がわからないんです、無意識を扱うわけだから。どうなるかわからないんですよ、探検みたいなところがあります。

というのも、自分の生き方をじっくり見なおして、今までとは違った生き方を支援していくのが僕たちの仕事だからです。人生と一緒ですけど、何が正しい生き方かなんてわからないですからね、あらかじめこういう生き方を目指そうっていうわけにはいかないんですよ。それはね、いわゆるエビデンスをとるのが難しいんです。エビデンスをとるためは、最初に結果を想定しておかなくてはいけないので。

こういう検証することに情熱を注ぐところが、野の医者と臨床心理士の違いのように思います。あ、あともうひとつ、何を治癒と定義するかというところは、野の医者と臨床心理士の違いですね。

ニューエイジとか、スピリチュアルとか、自己啓発の人たちは、軽い躁状態くらいを治癒にしていると思うんですよ。これってハイテンションなんです。ここが面白いと思うんですけど、この時代にハイテンションになることの意味はあると思うんですよ。ある種、現代に適応した治癒ではないかと思う部分もあります。



一部の芸能人がそうですよね。小さい画面から自分のプレゼンスを出す、オーラを出すというのは、よほどじゃないと持たないと思うんですよ。テンションが下がってしまうとまた上げるのが大変なんだと思うんです。だから上げっぱなしにしなくちゃならないんだと思うんです。言ってみれば、一般人の僕たちでもこのような世知辛いというか、流動性の高い社会ではバラエティ番組に出る芸能人の方並みのハイテンションにならなければならない、というような。


東畑
今の世の中は全体が豊かではないし、自己責任の圧力が強いですしね。落ち込んでいる暇がないというのもあるのかもしれないと思います。

あと、僕の勝手な印象ですが、80年代くらいの精神世界というのは、ベクトルが自分ではなく、外的な神話世界を構築するような感じがします。それが最近では「ありのままの自分」に関心が向かっています。なんだか、物語のスケールが小さい気がしますね。



当時も現状の違和感から離れて「ありのままの自分」を模索するというのは同じだったような気がしますが、その「本来の自分」を支える物語が、壮大な前世大河モノや宇宙人とのチャネリングだったこともあった。それが今の社会の枠内で「愛されてお金持ち」くらいの話にシュリンクしたっていうかんじでしょうか?


東畑
スケールが小さくなったと思います。結局、お金の話とか、仲間が出来たとか、選ぶ幸福が非常に小さい。アトランティスやバシャールに比べると(笑)。UFOにであって、世界の根源を見てきたとかね、そういう話じゃなくて、人間関係で傷ついて、自分を信じられなくなったけど、でも信じ続けていたらミラクルが起きて、今は幸せです。お金もあるし、友人もいる、みたいな。軽い躁状態ですね。苦しいエピソードも、本当の夢をかなえるための準備期間みたいに、すぐ幸福な話に回収されてしまいます。



小説だとすると短編というか、テレビだとシリーズが短くてすぐシーズン2に移行する?

東畑
そうなんです! スパンが短い。この本に登場してくださったかたは、取材の時に自分のミラクルストーリーを語るわけですよ。あの頃はつらかったけど、気づきがあって今はありのままの自分で生きているから、すごく毎日楽しい、と。ですけど、あれから1年か1年半ぐらい経ちますが、Facebookの投稿を見るとそうでもなさそうなんですね。あの時は実は苦しかったんだけど、今は本当の自分に出会えて、すごいハッピーで、ポジティブですって書いておられます。物語のサイクルが短い。



とはいえ、そこで語り続けることが生きることでもありますよね。


東畑
その通りです。物語を語り続けながら、必死で生き残ろうとしている感じがします。Facebookはそういう意味では、小さな物語の製造機ですね。


(つづく)

ー 他コンテンツ紹介 ー

東畑開人(とうはた かいと) プロフィール

1983年生まれ。2005年京都大学教育学部卒業。2010年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。2013年日本心理臨床学会奨励賞受賞。沖縄の精神科クリニックでの勤務を経て、十文字学園女子大学専任講師。博士(教育学)・臨床心理士。元マインドブロックバスター(2015年8月更新忘れのため資格失効)。

『「野の医者」は笑う??心の治療とは何か』

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