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「オカルト」とは
そもそも「隠されたもの」という意味のラテン語。本コーナーでは、鏡リュウジが気になる「オカルト」的なことをお題に選んで掘り下げていきます。

オカ研File No.46 『怖い女』著者沖田瑞穂さんをお迎えして 2
2018/5/11

『怖い女』著者沖田瑞穂さんをお迎えして 1

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『怖い女』著者沖田瑞穂さんをお迎えして【2】
   沖田瑞穂×鏡リュウジ
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呑みこむ女というアーキタイプのイメージをとりあげていて面白いなと思いました。

沖田
はじめは、女ということで広くとらえていたんですが、書いてるうちに、母という方向に収斂していったんですね。女の怖さというのは、母になってなくても母の怖さなんじゃないかな、と。母的なものを秘めている、たとえ少女であっても、それがその怖さとして現れ出るというのがあるかと思うんです。

一卵性母子のようなものは、日本独自の現象とも言われているらしいですね。この本で取り上げているのは、日本の話しばかりなんですが、最初から恣意的にやったわけではなく、結果、そうなったという感じです。河合隼雄先生が日本では母性が優位であるといってますし、そういうこともあり、日本に怖い女、怖い母の表現が多いのではないかと。その延長線上に一卵性親子のような母と娘の問題も発生してくるのがあるのではないかと思っています。


ユング心理学的にいうと、「抱きしめる」母なる女神は、見方を変えると「呑みこむ」「絞め殺す」存在ということですよね。生命を生み出し、育む子宮は「容器」ですが、この「容器」はそこから開放されようとする存在にとっては「牢獄」になります。エーリッヒ・ノイマンがその著書『グレートマザー』で見事に描いたように、暖かな育む母と子供や英雄を呑みこむ恐るべき母は同じ存在の表裏なんですよね。沖田先生のご著書では、そうした恐るべき母性の表象が古代の神話から現代のフィクションにまで、似たような類型として現れてくることが示されていますよね。

取り上げられている中では口裂け女の話しは、ぼくはリアルタイムで知っています(笑)京都ローカルだと、妙心寺婆あ、というのがありました。妙心寺の前に立っていて追いかけてくるという……追いかける女のパターンとしてね。

ところで「魔女」は怖い女に入ると思いますが、ご著書には出てきませんね。

沖田
バーバ・ヤガー(山姥)を魔女とするなら、そうですかね。魔女となると、キリスト教的な文脈の中で女性が歪められているという感じを持っていまして、怖い女に組み込むにはふさわしいかと考えたときにちょっと除外してしまいました。


ノイマンのこの図がよく出来ていて、講座でもよく使う図です。



女性性が中心で、包み込むとしているんです。M=マザー、A=アニマの2つの軸で分けています。

M軸は母なるものですが、母なるものはものごとを育みはするけれどあくまでも一定の枠内に収めようとする。
今の状態でキープ。育てるんだけど、自分のエリアの中にキープする。Aはアニマだから、魂のイメージですが、男性とか色んなものを憧れさせて引っ張り出す。ミューズとして。変容させていく力を持っている。しかし、見方を変えればそれは、男性を誘惑し、安全なところから引き離して溺れさせる魔女的な存在ともなる。

優しい母なる女神と恐るべき呑み込む怪物、そして、美しく霊感を与えるミューズと危険な領域に誘惑する魔女、この二つは正反対のようにみえてじつは同じ元型の光と闇の両面である、というのがノイマンのなした整理でした。

学生時代にこの本をよく読んでいた僕は、このマップが頭に刷り込まれていましたから、ご著書を読んでいるときに良くも悪くも「ああ、母性の光と闇だ」と頷いてしまっていたんですよ。

もちろん、ノイマンは西洋社会の人ですから、男性の英雄神の意識発達の本を書いていてこちらのほうが主著と考えられていますね。最初は母子一体の状況からドラゴンを断ち切って個を確立するという英雄神の元型論。

だから龍殺し(母親殺し)に失敗する、おびえているだけというだけでは自我の確立の失敗になってしまうと解釈されるわけですが、どうもそればかりではない、個性の発達のさせ方もあるんじゃないかなぁ、なんて僕なんかは考えますが……。

ところで、占いとも共通するんですが、神話もの、女神ものって書いている側にも、サイコロジカルな影響というのはあるような気がするんですが、そのあたりはいかがでしたか? 占いって多くの場合、用いる象徴は神話的なものでしょう? 占いの場合、必然的に神話的な素材と戯れることになるので、当たる当たらないということ以上に、神話的要素と触れ合うことが心理的な癒しというか影響を与えることになるんじゃないかと僕は感じています。神話を集めて、咀嚼して書く、しかも同じ主題について書く、というのは相当なサイコロジカルな作業になるような印象を受けてしまうのです。

沖田
はい、この本は私にとって癒やしだったんじゃないかというご指摘を頂いたこともあります。あとがきに書いたような母とのことがありましたので、それを思いながら書いた部分は無意識だとしてもあったと思います。だからこの本が「母」に収斂していったのかもしれません。ここはご批判をうける部分かもしれませんが。


でも、そういう内発的な動機づけがあるから書けたのかもしれませんね。オカ研的にいうと、コンステレーションというか、むしろ「女神」のほうが書かせたのかもしれません。という言い方もオカルティストはいえます。だいたい、そういう内発性がなかったら面白い本なんて書けないですよ。

沖田
女性は人生を生きていく中で、さまざまなステージを経ていきます。その課程で、皆さん、自分の中にも「怖い女」がいるということに気づいてくれたらいいなと思いました。そうすることで、娘を支配する母親と親離れできない娘のような、社会問題にもなっている母娘の関係性が改善していくきっかけになり得るとも思っています。


女神のパターンによって、女性の生き方のモデルを探そうというのは、80年代位から欧米では盛んで、『女はみんな女神』(ジーン・シノダ・ボーレン著)という本がヒットしましたね。あの本は神話的自己啓発書のはしりですが。

沖田
ところで、この本は日本の話しになっていますが、「怖い女」をアジア圏に広げてみてみますと、研究会の時に聞いた話しですが、パプアニューギニアあたりで興味深い風習があったそうです。

一夫多妻制で夫が死んだら大勢の妻と親族の女性が遺体を食べるというものなんです。食べるのは女性だけなんですね。遺体を呑み込んでまた産み出す、ということだと思います。


僕は子供の頃、小鳥をたくさん買って雛を孵したりしていたんですが、インコはストレスがかかると、巣の中にいる卵やヒナを食べることがよくありました。

沖田
父から聞いた話しで、飼っていた猫が子供を産んだ時、産みたての時に父が子猫を触ってしまったら、母猫は子猫を呑みこんでしまったんですって。父はこの本を読んでそれを教えてくれました。


誰かにとられるよりも、自分の中に呑みこみたいということでしょうか。文字通り、「呑みこむ女」を行動化している。神話と現実の境界というのは思いのほか薄いのかもしれない。

ところで次回作は何かアイデアがおありなんでしょうか?

沖田
女性と「家」をテーマに考えています。ヘンゼルとグレーテルではないけれど、「家」に引き込んで、人をそれこそ呑みこんでしまったり、或いは再生させて新たに旅立たせたりしています。


それはまた興味深いですね。楽しみにしています。今日はありがとうございました。

(了)

『怖い女』沖田瑞穂著
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ー 他コンテンツ紹介 ー

沖田瑞穂(おきた みずほ) プロフィール

沖田瑞穂(おきた みずほ)
1977年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科日本語日本文学専攻博士後期課程修了。博士(日本語日本文学)。中央大学、日本女子大学、等非常勤講師。専攻はインド神話、比較神話。

『怖い女』沖田瑞穂著
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