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鏡リュウジが何を感じ、何を思考しているか。気楽なものからレクチャー的要素もからめた雑文コーナー。海外のアカデミズムの世界で占星術を扱う論文などの紹介も積極的にしていく予定です。

マギー ハイド著 『クリスチャン・アストロロジー』評
2018/11/12


今年2018年の日本の占星術業界最大のニュースといえば、ウイリアム・リリーの 『クリスチャンアストロロジー』が邦訳出版されたことではないでしょうか。17世紀のこの本は、すでにご紹介したように事実上、英語で書かれた最初の占星術教本であり、また1985年にレグルス版としてこの本が英国で復刻されたことが、20世紀後半の「伝統・古典占星術」復興の起爆剤となりました。

『クリスチャン・アストロロジー 第1書&第2書』(太玄社)
ウィリアム・リリー著 田中要一郎(監修)、田中紀久子(訳)
http://amzn.asia/d/dWm8xfT

以降、現代の心理占星術と伝統的な占星術という、見かけ上の二つの陣営が占星術実践者のコミュニティの中に生まれたように見えます。最近ではその二つは仲よく共存しているようですが、当時はかなり過激な論争もあったのです。

とくに初期の、伝統占星術復興派の人々は「ルールフリーク」のようなところもあって、どの技法をどのように適用するか、といったことの根拠探しでマウントの取り合いをやっていたようにも見えます。しかし、伝統占星術の真髄はそうした「ルール」の絶対視にはない、ということを早くから看破していたのが、マギー・ハイドさんやジェフリー・コーネリアスさんたちでした。伝統占星術は近代的なパラダイムとは異なる世界観を基礎にしており、「正しいルールを適用さえすればいつでも誰でも正解が導ける」、という思考、言い換えれば近代的な「再現性」の重視とは異なるということをはっきりつかみ出していたのです。

それもそのはず、マギーさんたちは1970年代から図書館においてリリーの著書を借り出し、コピーをとって徹底的に研究していたというのです。またホラリー占星術の熱心な実践者でもありました。「ルール」を金科玉条のようにするのではなく、ルールに導かれて、シンボルを生き生きと生かすことこそが大切なのだとするのがマギーさんたちの立場なのです。

1991年の段階で、英国で復刻された『クリスチャンアストロロジー』(レグルス版)への評は、17世紀のリリーの占星術を生き生きと現代に生き返られせる素晴らしい手引きになるでしょう。

もしかすると、1985年当時の本場英国の占星術家たちよりも、今の僕たちのほうがある意味、幸福かもしれません。心理、現代占星術vs伝統占星術などという不毛な対立を経験する必要もなく、またリリーらの「伝統技法」をドグマにしてしまう幻惑からも自由でいることができるのです。

マギーさんのこのレビューは、今、リリーを読む最良の手引きの一つになっていると思います。

(このレビューはマギー ハイドさんのご好意を得て、翻訳紹介の許可をいただいております)
(鏡リュウジ記)

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『クリスチャン・アストロロジー』評
マギー ハイド著 鏡リュウジ訳



もしあなたが占星術の真剣な学徒であるなら、一も二もなく本書は入手しなければならない。もっともいつ買うか、は別にして、である。本書は元来初心者向けに書かれたものではあるが、今日となっては、本書は占星術実践者向けの1冊であろう。

本書は871ページのファクリミリテキストからなる、重厚な本だ。この1冊は序、ホラリー、ネイティヴィティ(出生)の三部からなり、さらにパトリック・カリーによる後記/文献案内の付録およびジェフリー・コーネリアスによる短い「現代の占星術の視点から」の補足を含む。レグルス出版は美しい造本に腐心している。惜しむらくは入門的な記述、現代人のための索引、原書でのページ順の再構成にミスがみられることだ。だが、これは些細なことであろう。ファクシミリ版についてこれまで耳にした不評には私は同意しない。リリーはまったくもって読みやすい著者である。数ページ読んでリリーの美しい文体や書体に慣れてしまえば、fとsの取り違えなどはなくなるだろう。(ファクシミリ版の字体では当時の常としてfとsの活字が酷似しているのである;訳者注)

それにしても、リリーをめぐるこの騒ぎは一体何なのか。今の占星術家がなぜリリーの仕事を学ばなければならないのだろうか。簡潔にいうなら、それはリリーが私たちに古典の占星術を継承する媒介者となっているからに他ならない。もっとも伝統の重要性を知らない占星術家なら、リリーの占星術は17世紀においては有意義であったかもしれないが、科学と、今世紀に入ってからの深層心理学との蜜月に影響された現代の占星術には価値がないのではないかというかもしれない。そのような考えを持つ向きには今一度考え直していただきたい。現代の占星術家がリリーを重視しなければならないのには二つのポイントがある。第一に、ホロスコピー(ホロスコープを読む技術)の実際的クラフト、その原理、伝統的な技法、技術(の再興)である。そして第二に占星術実践(技法)と不可分である、占星術家の態度そのものの再考だ。

ホロスコピーに関して言えば、リリーは今なお、ホロスコープを判断し、読者に伝える達人である。「占星術の本書は実際にどんなふうにホロスコープを判断し読んだらよいのか示していない」という典型的な愚痴をこぼしているような方には、リリーのこの点はとりわけ強い印象を与えるはずだ。試しに私の書棚から、端から7冊ばかり占星術書をとりだしてみよう。全部異なる著者によるもので、初心者向けではない。1612ページ分にわたる、理論的な説明とイメージングのなかに、わずか14枚しかチャートを見ることはできないのである。それと比べリリーはどうだろう。832ページのなかにホラリーの判断が35、一生にわたるディクション(その中には20年分のディクションとソーラーリターンの詳細な判断が含まれる)を見ることができるのだ。本書は教科書(ティーチングマニュアル)として書かれた。リリーの意図ははっきりと述べられており、その目的は達成されている。

「私は全く公明正大に、偽りない心で、明白に、誠実に、占星術を伝えようとした。私にとって使いやすく、適切だと評価したものや、これについて若い研究者の手助けになるであろうものについて、私は喜んで全てを明らかにしている。」(xiii)

神秘めかしたこと、専門用語の煙幕、こけ脅しの大袈裟なことばなどは皆無。リリーは終始一貫して原理原則と技法を順序立てて述べ、その実際を示してくれている。リリーはまた、文献をよく読み込んでおり、古代からの著者たちと「対話」していた。もしリリーが初期のギリシャやラテン語の文献を濃縮して残してくれていなければ、我々は古い伝統から断絶してしまっていたであろう。まず基本用語と概念を定義した後、リリーは惑星、サイン、ハウスについての完全で要約された、実際的な情報を与える。

「牡羊座は、男性、昼のサイン、活動、カーディナル、昼夜平分(春分)である。性質は、火象、熱と乾、胆汁質、獣象で、贅沢で、不摂生で、暴力的である。火星の昼のハウスで、火象のトリプリシティ。東である。」(93)

その言葉は逐一、的確である。牡羊座についてさらに言えるどんな内容であれ、ここに挙げられた基本的な性質から導き出すことができる。

リリーの基本的な技芸(クラフト)は、現代の占星術家がしばしば見過ごしてしまうシンプルなポイントを思い出させてくれる。古典的な占星術実践においては普遍象徴(ユニバーサリテイズ)と個別象徴(パティキュラーズ)が明確に区別されていることだ。

惑星とサインは普遍象徴としてのシグニフィケーターだが、ハウスのルーラーシップを通じてそれらは人間界で具体的な場所を得る。このことはホラリーにおいてはよく知られているが出生図においても同じく重要である。一方、リリーは真に活きている伝統のよき媒介である。リリーを通じて私たちは占星術の上でも、社会の上でも変化をみることができるのだ。例えば第7ハウスを扱う章は盗難について35ページが占められている。しかし結婚についてはわずか17ページだけだ。また現代のホラリー占星術師は妻を第7ハウス、ロマンスの相手は第5ハウスに帰属させるだろうが、リリーは妻であれ、恋人であれ、娼婦であれ、すべて第7ハウスに置くのである。

このことはルールや技法にたいしての疑問を提議することになる。リリーはルールオタク(ルールフリーク)ではなかった。リリーの態度は柔軟であり、学徒には繰り返しこのように言っている

「ここでは質問によって方法を変えること」(193)

またこのことも極めて重要である。

「この技芸(占星術)と理性を合わせなければならない」(184)

リリーはアスペクトのオーブについてなど細かな点については鷹揚であった。ほかの様々な占星術師家が異なる方法をもっていることをこのように述べて紹介している。

「私は、誤りがなかった例の自分の記憶に従い、時に一方を使い、時にはもう一方を使っている。」(107)

またアフォリズムを判断の基礎にすることには反対している。

「しかし、主要なシグニフィケーターをきちんと動員して判断しなければ、先人たちがしたような結果は導けない。正しい判断は占星術の胸中にこそある」(650)

アフォリズムにたいしての誤った理解は現代のホラリー占星術の実践の場で広がっている。とくにアイヴィ・ゴールドスタイン-ジェイコブソンとデルース(DeLuce)はリリーの章句を、情報源としてのリリーに言及しないままにまるごと用いている。彼らはアフォリズムと、第一義的に重要なシグニフィケーターのパーフェクションの条件を区別しておらず、結果、リリーのものと比べてホラリーをはるかに硬直した、あるいはときにルーズなものとしてしまったのである。たとえば、彼らは「第4ハウスのルーラーが事項の終焉を示す」というアフォリズムをすべてのホラリーの問いに有効であるとしてしまっている。しかし、(わざわざ本来)占星術のルールや理論の数を限定しているのは、それがひとつの導きとしての役割をもつためなのだ。

「記載されてることをすべて正確に記憶する必要があるということではなく、自分が考え違いをしている時、していない時、質問の判断をすべき時か、そうでない時かを分かるようになる必要がある」(128)

クラフト(技芸)は判断をきちんとする(Discrimination)ための手助けとなり占星術家の判断を導く。クラフトは、クラフトを厳守するためだけにある、死物ではないのだ。自身が「わからない」と思ったとき、伝統と対話することが実践においては根本的に重要である。リリーも、自身の無知について読者と同じ立場にたっていることを述べている。パート・オブ・フォーチュンについてはこう告白している。

「しかし、私はパート・オブ・フォーチュンのほんとうの影響については十分に把握していない。今後これについて心血を注ぎ、私の見解を発表するつもりである」(145)

クラフトに導かれることで、占星術家は自身の理解に自信を深めることができ、その自信が確かな判断を生むのである。リリーは自分がどのようにしてその判断にたどり着いたかを明かすのが常であったし、それはいつも説得力があるものだった。リリーが、結果として「その(占星術の判断)通りだった」とか「それは証明された」と述べているなら、私たちはそれを信じることができる。リリーの占星術上の論理はきわめて説得的であるので、(判断と)異なったことが起こったとは想像できない。これほどの信頼感をもつ占星術書はめったにない。

これは私にリリーを読むという経験の意味を深く感じさせることになった。リリーは単に「読む」(simply read)ことはできない。リリーは、「きちんと研究(study)」しなければならないのだ。そのためにはチャートを自身で描き、判断しようとし、そのあとで、リリーの判断を追いかけるべきなのである。

リリーの「そのまんま」(Just-so)の占星術はとても楽しいものだ。「盗まれた魚」は12ハウスの、魚座の水星である。行方不明になるも、アイルランドの港で無事でいた船は、アイルランドを表す牡牛座にあった月である。それは友人を示す、11ハウスにインターセプトされ「フィックスド、安定および安寧を示す星座にある。知らせは近々起こる水星のトラインによってもたらされる。(そうなった)」。

悪夢は、そのころあったオフィスを失ったことから来ている。この場合、木星は10ハウスのロードである土星と合であり、夢見手は「共和国においてよい地位にいることの恩恵を失ってしまったために…これまでの安心感をなくしてしまった」のである。(436)(そしてそれはそのとおりだった。)海外へとまさに旅立とうとする高貴な兵士は第9ハウス、牡羊座の太陽だ。一見曖昧に見える読み方もあとになって完璧な読みだとわかる。もう一つの行方不明の船の場合、乙女座10度にあった月は牡牛座15度の土星、第8ハウスのロードにトラインを形成しつつあった。これが月がアプライで形成する最初のアスペクトではあった。が、リリーは獅子座15度からの、かなり離れた、その前の月のスクエアに注目する。その月と土星のスクエア以降、月はずっとボイドであったので、リリーはこのように判断する。

「これはこの頃に船が(死の)危険にさらされる、すなわち難破することを示していた」(165)

直ぐに起こる月と土星のトラインのパーフェクションにおいて、その商人は、

「この船に投機したものすべてというわけではないが、多くを失うだろうと私は判断した」。

リリーは「ロンドン市民は占星術を高く評価していない」と見ていたが、(本書に登場する)問いの数々を見ていくと、リリーがいかに深く広く人々のなかに受け入れられていたかが伺える。

今日の占星術と違って、リリーは社会のあらゆる階層の人々と接し、また敬愛されていたのだ。ロンドン市民、商人、兵士、議会のメンバー、錬金術師、聖職者、不遇な女性、囚人の妻、貴婦人や貴族にいたるまで、そしてもしかすると、王とすら、リリーは交流していたのである。こうした人々との関わりにおいて、リリーが扱ったのは飛び抜けた派手な事例ではなく、あくまでも素朴であたりまえの日常的なことだった。そう、病気と健康、富、結婚、家の購入、盗難にあった金銭、行方不明の人、いなくなった馬などなどの事項である。例外的な大きな問いとしては、「政府に服さぬ」党派から「ケンブリッジは王軍によって占拠されたか」という質問である。ページをめくっていくうちに、17世紀の書物を読んでいるという感覚が薄らいでいくであろう。人間というのはそう変わらないということを思い知らされる。

とは言うものの、少しばかり咀嚼しにくい17世紀的な態度もあって、そこではヒューマニステイック(人間性)心理学の影響を受けた占星術は距離を感じてしまうこともあろう。

12ハウスの事項として「呪いに(魔法に)かかっているか」という問いがあり、そこには呪術を解くための一連の魔術指南がある。今のプロの占星術家なら、呪いを解くために屋根葺きの材料、タイル、尿、火を使った儀式を指導するなどということはちょっと考えにくい。あるいは、「子どもができるかどうか」を尋ねる女性への、一見したところ厳しい判断は、心理占星術家あるいはカウンセリング占星術家にはまったく不適切なものだと受け止められるだろう。

リリーはいう。
「列挙したこれらの占星術上の理由から、私は次の判断を伝えた。すなわち、質問者は今まで妊娠したこともなく、…けして妊娠しないだろう。この女性は生まれつき不妊体質なのだ」(239)

リリーは学徒に与えた教訓に自分自身が反しているのだろうか。

占星術家は、

「厳しい判断で不幸な人を恐れさせ悩ませてはならない」はずである。(xxxiii)

私は、リリーはその訓戒に反してはいないと思う。占星術家は些細な、あるいはどうでもよい質問を判断してはならないということをリリーが言っていることを思い出そう。子どもを持てるかどうか、といった真剣な質問にたいしては、占星術家は占星術を真剣に受け止めなければならない。

これはホロスコピーを使って、できるかぎり真実の状況に迫ることを意味する。その真実がどんなものであれ、真実こそが真の癒しであるという不文律がそこにあるのだ。もしこの女性の真実が不妊であるというなら、それこそが重要なことであり、言葉にするべきなのである。また、次の問いほどリリーの問への態度を明らかにする感動的な例はないだろう。それは「病人は生きるか死ぬか、そしてその病気は何か」の例である。

月は第8ハウスのロードである木星にスクエアを作りつつある。木星は双子座でデトリメント。木星はまた第7ハウスのロードでもありリリーの存在と、リリーの病気を扱う能力の状況を示す。リリーはこの患者が長くないであろうことが真実であると占断し、自身が適切だと思う振る舞いをした。リリー自身の出生の木星は第9ハウスのロードであり、第7ハウスの天秤座に入っていることが思い起こされる。リリーは司祭の役割を任じる。その言葉には第9ハウス、天秤座、木星が美しくこだましている。

「神とともに安らかな心持ちでいるようにと説いた」(291)

リリーの慈愛と人間性への巧みな洞察は、その占星術判断と融合しているのが常であった。そう、「そのアートとともにある分別」なのだ。「哲学者の石が手に入るか」を尋ねる錬金術師には、健康問題に気を付けよ、などというのがそのよい例である。

「そして、この紳士は私が話したことは無駄ではないと思うべきである。私が紳士に告げたことは、この迷宮の研究に入っていって(否、入っていた)、より一層苦労することより自分自身の生命力の消耗を癒すことがより一層必要であるということであった」(443)

一見、予言的に見える要素があるようには見えても、リリーの占星術には驚く程宿命論的なものはない。その精密なクラフトは真実を詩的に表現し、人間の世界へと引き下ろす。それがきわめてシンプルなリリーの営為の中核にある。リリーはこのように言う。

「そこで知識は、相談者がもともとの性質や傾向によって受けがちな損害や負傷を避けるべく自然な方法をとるためにこそ、用いるのがよい」(132)

ここには選択も本人の関わりもある。人は宿命づけられてはいない。占星術家、質問者双方の参与がパーフェクションに不可欠なのである。それは単に惑星の動きからだけではなく、人間の能動的な働きかけがあってこそ生まれる。この問題はレグルス版に付されているジェフリー・コーネリアスの注釈で論じられている。リリーの本における、一見予言的な内容に怯んでいる占星術家はそれをご覧いただけたらと思う。リリーが「火星が象徴する赤い髪の召使を避けよ」というときには、そのような赤毛の人は本人がもともと出会いがちな「災難」をとくに引き込みがちであるということであって、それが本人の幸福や不幸を直ちに示しているわけではないと理解すべきだ。今日、私たちは出生の「潜在的可能性」(ポテンシャル)と言っているものである。おそらく赤毛の召使は火星のもつ可能性の良い面ではなく、最悪の面を引き出しがちだということなのだろう。

リリーの出生図へのアプローチは、今日の優れた占星術家のそれと驚くほど似ている。リリーは惑星の強さと弱さを計り、四気質の強弱を調べる。それは4つのエレメントを見る現代の占星術とも似ている。

「多血質、胆汁質…ほかの二つの体液、すなわち冷と湿が完璧に混じり合っているようである、どの体液が過剰なのか断言するのは難しい。…4体液のうち何かが過剰であるとは観ることはできない」(743)

リリーの著書にはじめて触れるなら534ページからの出生図の項目から入るのがよいだろう。これは本人の行動様式(マナー)を査定する方法を解説したものだ。これは基本的に星座ではなく惑星を基礎としている。行動様式はアセンダント上の惑星、あるいは月ないし水星とともにある惑星、あるいはそれらがなければアセンダントのルーラーによって知ることができる。

出生図のセクションには時期予測と出生時修正の有益なヒントが含まれる。ここには子どもの出生時刻から父親の出生図を修正する方法も見ることができる。リリーは主要な三種類の時期予測技法を用いている。すなわち、ディレクション(プライマリー)、プロフェクション(12年サイクル)、そしてレヴォリューション(今のソーラーリターン)である。リリーはアセンダント/ミッドヘブン、太陽/月、フォーチュンという5つの主要なディレクションを重視しつつシグニフィケーターとプロミッターの動きを見る。惑星の動きはあまり重要視されていない。これらの5つの主要要素にたいしては細かなクックブックとなっている。ある年にたくさんの主要なアスペクトが形成された場合には、どのファクターがもっとも重要であるかを見るためにディレクションとレヴォリューションを比較することを推奨している。リリーは20年にわたるディレクションを仔細に分析し、各年の目立つレヴォリューションと比較している。現代の占星術書で、ここまで注意深く、網羅的なホロスコピーを見たことがない。

最後に述べたいのは、リリーの占星術がキリスト教的なものであるということ。このタイトルそのものが、占星術がオカルト的「悪魔の業」であるという見方に反駁している。リリーは教区委員でもあり、その墓はウォルトンのセントメアリー教会にあり、リリーがクリスチャンであった事の証拠だ。扉ページにある肖像は「ベツレヘムの星」と、牡羊座と魚座の時代を示すものとなっている。真のキリスト教精神が本書には行き渡っており、研究者への言葉がそのことを強く示している。

「自信が満ち、汝が信心深くなればなるほど、神により近づき、汝はより純粋な判断ができるようになるだろう」

[この評はカンパニーオブアストロロジャーズの紀要No4(1991)が初出である]

訳者注:文中のCAの引用は、田中要一郎監訳を参考にしながら文脈に合わせて適宜、鏡が訳した。

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