鏡リュウジ公式サイト BETWEEN THE WORLDS

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「鏡の視点」とは
鏡リュウジが何を感じ、何を思考しているか。気楽なものからレクチャー的要素もからめた雑文コーナー。海外のアカデミズムの世界で占星術を扱う論文などの紹介も積極的にしていく予定です。

月星座について思うこと
2020/9/17


 最近、「月星座」についてよく聞くようになりました。
いわゆる誕生星座は太陽の星座ですが、生まれた時の月の星座もそれと並んで重要であるということが知られてきて嬉しい限りです。ただ、びっくりしたのは月星座が「金運を招く秘訣」といったような解釈まで拡大されていたことでした。いわゆる引き寄せ系の占星術ということでしょう。
まあ、占星術というのは象徴の世界ですから、科学とはちがってそれぞれの占星術家の解釈があっていいのです。
とはいえ、あまり伝統的な占星術の解釈から離れるのもなぁ…と感じているのも確かで…もやもやしていたところ、占い編集プロダクションの方から、別の日本の大先輩にあたる占星術家の方が「月星座にこだわるのはよくない」というブログを書かれているということを教えられ、それを見てみました。
それによると、月は太陽の光を反射するだけの、実態のない虚像の星、死の星であり、そこに固執するとエネルギーを失われるとあるのです。
 あまりにも極端に見解が違っていて、これではノンアストロロジャーの人に「だから占星術って好き勝手にいろいろな人がいろいろなことを言っているだけ」ということになりそうです。
 でも、そのようなひとつのシンボルをめぐってさまざまな見解が出て許されるというのが占星術というアートの面白いところではあります。

では、僕はどちらの意見に与するのか。
 ブログを読んだ限りではやはりその先輩の占星術家の方の意見に説得力を感じはするのですが、正直いうとそれは極論でしょう、というところでもあります。
まず、基本に立ち返って月と太陽の象徴を考えていきましょう。
 まず、現代占星術では月は母性や存在の基盤(マザー、マトリックス)の象徴です。
心理学的には意識が未だ分化していない、母子一体的な状況を指すとも考えられます。
多くの神話ではこの世界は「世界卵」から生まれてきたとされます。あるいは空と大地が一体だったような状況。また混沌。あるいは自分の尻尾を食べている蛇。
このような始まりも終わりも、個別性もない状況が世界の始まりであり、素材であるとイメージはあちこちにあります。
このような状況が「月」に象徴されるといっていいでしょう。
例えば生命が地球で誕生したとき、それは海の中の単細胞生物だったはずです。薄い細胞膜は海水との養分の交換をしていて、「自己」と「他者」の区別は曖昧でした。
また、あなたや僕が生まれた時も、母親の子宮の羊水という小さな海の中で、世界=母との境界が未だはっきりしない状況の中に生きていたわけです。それはまるで、薄闇の月の光のもとで影の輪郭がはっきりしないような状態。あるいは月が支配する潮の干満に身をゆだねているような状況でしょう。
そこは至福の状態であり、「自分」というものを意識しないですんだ、楽園状況(知識の木の実を食べる前の、エデンの園のような状況)であったと言えるのではないでしょうか。
しかし、それが僕たちの意識がだんだん分化し、境界線がはっきりしていって、「個」が生まれてくるということになります。
この分化を促すのが、占星術の上では太陽なのです。
 月はしばしば「無意識」を表すとされますが、より正確に言うなら月は世界=母=肉体と未分化な意識の状態をさします。
お腹がすいたらすぐに食べる、あるいは快不快にしたがって感情や行動が惹起されるような状態です。
子どもはある程度、みなそのような状態ですね。その代わり、嘘はそこにない。純粋な気持ちがそこにある。そしてそこが守られていると基本的な生存本能、安全欲求が満たされている。
しかし、ここが脅かされると、この生を支える基本的な安定感までもが揺るがされ、本能レベルでの不安感に苛まされることになります。
月星座が示す性格とは、その人がいちばん「ほっとできる」ような状況であり、本能的に反応していける行動パターンでもあるわけです。



 占星術において、月はとても大切な働きをしています。
 とくに現代占星術においては、重要なものとされているのです。現代占星術における象徴解釈の最高峰といえば、ユング派の分析家でもあるリズ・グリーンでしょうが、グリーンは、端的にこのように月の働きを描写しています。

「出生時の月の星座の中に、何か個人としてではなく、本能的な生物として自らを表現するしかたを見出すこともできるだろう。言い換えれば、月は本能的、もしくは非合理的な本質を象徴する。また、バースチャート上の位置により象徴的眠り・無意識・逃避・逃避場所を求める人生の領域を示すが、それは決定を下す能力や意志というより、自身の要求によって支配されることが多い。だから自我が何かに向かって努力していないとき、本能的な反応パターンの中でくつろいでいるとき、その人の月を観察できるだろう」

つまるところ、リラックスして自分の”動物”的で、本能的で、意識的な努力なしでたちゆくときの行動パターンを月は象徴しているというわけです。
その月はさまざまなレベルで現れます。例えば空腹を感じる、というのは月が求めているものです。
眠くなる。疲れた時、ペットと”モフモフ”したい。誰かの胸でくつろぎたい。
故郷の家に帰ってきた時にほっとする。こうしたものはすべて月の感覚でしょう。
しかし、逆に月の働きなくしては人は本当にものごとを自分のものにはできません。
例えばスポーツ選手が何度も何度も練習を繰り返し、その型や反応が身につける。複雑な文法を意識の上で覚えることはなくても、母国語を流暢に話すことができるのは、幼いころからの経験によってその言語を「自然」なものとなるまで、身体化、内面化しているから。
日本語はよくできていて、肉月という漢字の部首までありますね。身体化するというのは、月の働きがあることを知っているかのようです。
その意味で、月は”過去”に人々を引き寄せます。懐かしい思い出を何度も語る。過去から馴染んだ味を繰り返し求める。
それは月の働きなのです。
人は歳を重ねたときに、子供にかえると言いますが、そのときには過去の思い出が魂として蘇ってきて、過去のパターンをなぞるようになるわけです。
 さらに最近の月の解釈として現世利益的なものがありますが、これもまた、全くいいかげんなもののようにみえて、実は古い伝統にもつながらなくもないのです。
その提唱者はそんなことはおそらくはご存知ないでしょうが…
 ヘレニズム期の占星術では、アセンダント、月、太陽の位置関係から算出される「幸運の籤」(ロット・オブ・フォーチュン)というものが想定されており、現在では「パート・オブ・フォーチュン」とも呼ばれています。
これは、物質的な富をも表しているというのです。
英語では普通の表現でmake fortuneというと、「財を築く」ともいいますよね。
実は、これは「ロット・オブ・スピリット」とペアになっているとされていました。
アセンダント、月、太陽の位置から算出する点はパート・オブ・フォーチュンと同じですが、それは太陽を軸として計算されます。
フォーチュンのロットは、物質性、肉体性から得られる幸福を示すのですが、スピリットのロットはより精神的、スピリチュアルな幸福を象徴するとされています。
 スピリットのロットは、占星術の伝統では長らく無視されるか使われていませんでしたが、これはやはり占星術が現世的に使われていたということと関わりがあるのでしょう。
 衣食住にまつわる安定と安全欲求、この世界に留まる力、それが月とかかわっているというわけです。
 この月なくしては僕たちは安らぎも深い安寧も感じることはできないでしょう。
しかし、それはやがて滅びます。だからそれを虚しいものとして、永遠なる高次のものを求めることもある。それは太陽です。
しかし、月なくしては僕たちはこの世界での幸福を感じることもできない、それもまた事実なのです。
天界から元素界(地球圏)への最後の関所である月は物質や肉体の象徴です。それ自体は善でも悪でもありません。それとの関わり方ということではないでしょうか。

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