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「鏡の視点」とは
鏡リュウジが何を感じ、何を思考しているか。気楽なものからレクチャー的要素もからめた雑文コーナー。海外のアカデミズムの世界で占星術を扱う論文などの紹介も積極的にしていく予定です。

ジェフリー・コーネリアスによる、アップルビー著『ホラリー占星術』序文によせて
2020/4/16


 ここに訳出したのはGeoffrey Corneliusによる、Derek Appleby “Horary Astrology” Astrology Classics 2005への序文である。訳にあたっては、毎度のことながらジェフリー・コーネリアス先生からの格別なご厚意によるご許可を頂いている。

さて、このテクストを翻訳、ご紹介したいと考えたのには、以下のような事情による。

僕自身が「ホラリー占星術」に出会ったのは、1980年代のことであった。最初に手にしたホラリーの本はDeluceによるものだったと記憶する。しかし、10代だった当時は、まさにこのジェフリー先生の序文にもあるとおり、ホラリー自体が重きを持っては扱われておらず、またその一見した「軽さ」「些細さ」のためにきちんと評価できずにいた。

やはり「予言から自己発見へ」といった心理占星術のアプローチの方がはるかに魅力的に映ったし、ホラリーのあまりの具体性は、「俗っぽい」ものとしてしか評価できなかったのである。また当時の僕の英語力では、ホラリーのルールを細かく翻訳していくことも億劫に思えたのであった。

そんな中で初版の本書をかなり早い時期に手にしていたにも関わらず、本書を評価することもできず、また、80年代末から英国に通いはじめたものの、デレク・アップルビー氏にはお会いするチャンスも逸していたのであった。

だが、そこからさまざまな運命の計らいがあり、デレク・アップルビー氏の薫陶を受けたマギー・ハイド、ジェフリー・コーネリアス両先生と今のような深いご縁をいただくことができた。今ではおふたりは僕にとっては第二の家族のように感じられるまでになっている。

しかし、残念ながら、そのお二人に強いインスピレーションを与えたデレク・アップルビーについては僕自身も強い印象をもっていなかった。僕の中でデレク・アップルビーが再度浮上したのは、実に昨年のことである。

英国占星術協会での年次大会である現代のホラリーの権威者のティーチング・マニュアルを購入した。その冒頭には、ホラリーの歴史が簡単に素描されており、その中には現代におけるホラリー復興を示す系図が添えてあった。その中にはジェフリーさんやマギーさんのお名前はあるものの、デレク・アップルビーの名前がなかったのだ。

これを見たお二人は大いに困惑され、驚かれた。英国における真のホラリーの復興者、貢献者のひとりはデレク・アップルビーであるのは間違いがないのに、その業績が忘れられているのではないかというのである。

ホラリーは、考えてみれば実に「占星術的」な技法である。占星術が天なるものと地なるものとの照応を示すものであると同時に「外なるもの」と「内なるもの」の照応を示すものであるとするなら、内的、心理的な状況のみならず、具体的で俗的な出来事とも天は照応していなければならない。しかもそれは科学のような客観的なかたちでなく、天-地-人(占星術家)が互いに混じり合い、シンボルを通して交差しあう瞬間が「現れる」のである。これはホラリーにおいて極めて典型的に示されるのである。

ホラリーが面白く価値があるのは、それは「俗っぽい」ものであるからではないか。

錬金術の格言の一つに、「我らの賢者の石はもっとも卑近なところに見出される」といったものがある。あの煌く星の配置が、「今必死に探している、置き忘れた鍵のありか」と照応し合うという、このアイロニカルな交差具合においてこそ、占星術の真の神秘が感じられるのではないだろうか。そしてここには「天と地」の照応には、「人」の切実な思いが関わっているという点が重要なのである。

デレク・アップルビーの占星術は、「俗なる占星術」の魅力と神秘をよく示している。しかも、ここにあるのは占星術家の体感に委ねられたシンプルな占星術である。

現代の細密なルールの発掘を目指すリバイバリストたちはしばしば、厳密なルールの適用が自動的に正しい答えに導くように語りがちだ。これでは「天と地」の照応のみを扱っているのが占星術だということになってしまう。しかし、実際にはそこにシンボルを見出す「人」(占星術家)が参与しなければ、天と地の美しい共鳴を聞き取ることはできないのである。

ジェフリー先生がここで語っておられる「開放」「閉鎖」形というモードの違いはこれと関係している。

この序文は、デレク・アップルビーの再評価を目指すものであると同時に、占星術の本質を理解するためにも重要なヒントとなっている。この短いテクストをご紹介したいと願うのは、まさにそのためなのだ。

(鏡リュウジ記)

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2005年版への序文


 1985年に初版が出た本書の再版は、長らく待たれてきたものである。本書は実践的ホラリーの現代的伝統におけるもっとも重要かつ影響力があるものであり、今尚、本書に比肩できる文献はほかに1冊か2冊あるかないかであろう。

デレク・アップルビーは見事なホラリーの手引きに加え、56もの端的な、あるいはときに詳細で長い判断例のケースブックを私たちに提供してくれている。ケースのうちいくつかは生徒さんからのものであるが、これらについても著者によって綿密に検討されたものである。なかにはイベント、あるいはエレクショナル(時期選定)占星術の分野に入るものであるが、そこにおいてもアップルビーはホラリー的アプローチの重要性を見せてくれている。私は、このレベルでの結果を引き出すことができる現代の占星術家はいないと確信する。それは著者がその占星術をクライアント、友人、仲間の占星術家たち、生徒、仕事上の同僚、そしてときにはパブでのフランクな出会いなどを通して長年にわたって寛大にも共有してきた経験から生まれたものなのである。

この版が出たことで、最近のホラリーをめぐる状況をここで振り返る機会としたい。分水嶺になったのは、1985年であろう。ウイリアム・リリーの『クリスチャン・アストロロジー』のファクシミリ版が出た年である。
その同じ年にデレク・アップルビーの著作が出たというのは見事な符合である。
アップルビーもいうように、この時まで英国の占星術シーンにおいては、ホラリーはきちんとした評価を得ていなかったのである。1970年代以前にはホラリーは一風変わった好奇心の対象でしかなかった。経験豊富な占星術家でさえ、ホラリーには一種の道楽としての扱いしかしておらず、大きな価値を見出してはいなかったのである。アメリカでは、1960年代にはデレク・アップルビーの大きな知識の源にもなっているアイヴィ・ゴールドスタインーヤコブソンの著作も出ていたが、状況は英国と同じようなものであった。私のみるところ、ゴールドスタインーヤコブソンやそのほか少数の占星術家の努力があったにもかかわらず、アメリカにおいても英国と同じくホラリーは周縁的なものであり、占星術実践のメインストリームの中では、単にあまり興味深くないものか、あるいは説得力のあるものとはみなされていなかったようである。

このようなあまり芳しくない歴史のなかにあって、一つ注目すべきことは英国の占星術界においてホラリーが一角を占めるようになってきたことである。これはまずロンドン占星術ロッジにおいて始まり、次にカンパニー・オブ・アストロロジャーに引き継がれていった。デレク・アップルビーは、1983年における、カンパニーの創設者の一人でもある。この新しい息吹が弾みとなって伝統的な権威、とりわけリリーに回帰しようとする動きが出てきた。リリーについては、19世紀のザドキエルによる、大幅な抄訳、修正版によっては知られていた。オリビア・バークレーの所有していた、ページをばらばらにした原書をもとにしたコピー版は、バークレー女史のこの古えの達人の業績を普及させようとする強い熱意とあいまって大西洋の両岸で興味の炎をかきたて、レグルス版の出版へとつながっていったのである。
レグルス版と直接的な系譜でつながるとは言い難いかもしれないが、こうした伝統的な知識の源の再発見は心理的、人間性占星術への強い反動を生み出し、この動きがARAHATやハインドサイトといった古い文献の翻訳計画を準備することになったのである。

1970年代にすでにホラリー占星術に重要な位置づけを与えていたキーマンとなる占星術家がひとりいる。デレク・アップルビーである。私がアップルビーの業績の重要性、そして影響力の大きさを見てとっているのはそのためである。私は今でも、アップルビーが実践しているところを見て受けた大きな衝撃をよく覚えている。そのころ、私はすでにホラリーと出会ってはいた。しかしながらこの時点では、ほかの多くの占星術家と同じく、ホラリーの真髄を「目の当たり」にはしていなかったのである。当時の私のホラリー理解は理屈の上、推論の上のものであって、ホラリーの生命力を実感してはいなかったということだ。アップルビーは、独学の占星術家であり、占星術家たちの集まりにおいては最初は控えめな態度しか見せない方だった。しかし、いざ、ごく当たり前の日常生活の中でホロスコープを読み始めるや、アップルビーの言葉は人々を魅了してやまないものとなるのだった。アップルビーはまた、卓越した教師でもあった。一つ一つのホロスコープが一つの物語となり、彼のもとでシンボルが躍動するのである。ここで特記しておきたいのはシンボリズムの細部にまで豊かさを見出すという点で、アップルビーは出生占星術においてもマンデン占星術においても同じように強い印象を与えていたということである。本書において彼の出生占星術へのアプローチにおいていくつかのヒントを、そしてまた彼がときに、ネイタルとホラリーを折り合わせていた場合の方法を見ることもできよう。アップルビーのもう1冊の著書『日月食』(1989年、アクエリアン、モーリス・マッキャンとの共著)は、アップルビーの出生およびマンデン占星術の素晴らしい職人技を見せてくれている。つまり、アップルビーのホラリーの仕事は実践的占星術全般にわたる技芸の一端として見なければならないということである。

 アップルビーの業績は、この20年で忘れられがちとなっている。理由の一つとしてはアップルビーの本が入手し難かったということもある。しかし、同時にアップルビーのかつての支持者たちがその技法、あるいは教義の面で道を違えてゆき、結果としてアップルビーに負っているものの大きさを忘れがちになっているということがあるのである。オリビア・バークレーの影響力の大きな『再発見されたホラリー占星術』(ウイットフォード出版、1990年)は一つの記念碑的なものであるが、アップルビーへの言及はほとんどない。バークレーは17世紀のリリーへ回帰しようとするあまり、アップルビーを過去のものとしてしまった。しかし、難しいケースを目の前にしたとき、バークレーが指導を仰いだのはアップルビーであり、またバークレーを、ほかの多くの占星術家たちの一団とともに、ホラリーの伝統へと引き込んだのはアップルビーの権威と経験であったのである。アップルビーが私たちに開いてくれた展望を抜きにしては、後進のホラリーの実践家たちが現れることはなかったであろう。

この決定的な影響力が及んだのは英語圏だけではなかった。1994年のアップルビーのロシア訪問以前にも、アップルビーの本の不完全な写しはモスクワで回覧されており、ホラリーのコースでの教本とされていたのである。だが、ホラリーはいまや、旧東側諸国ではしっかりと根を張っているが、アップルビーの業績は海外においても、あるいは本国でもあまり知られていなくなっている。新しい世代の権威者たちは、ホラリーの奥義を過去に求める一方で、自分たち自身の直近の伝統については忘れてしまいがちなのである。

ここで、アップルビーのホラリーへのアプローチの特徴は何なのかと問いかけておくことも価値があるだろう。このテクストを見ると、アップルビーがホラリーについて創造的な試みをしていることもまた、それにたいしてオープンな議論を恐れなかったことも明らかである。アップルビーは、自分の占断の失敗に言及することを常に辞さなかった。また自身が誤ることもあると認めてもいた。過去の事例について詳細にわたって、興味を共有する生徒たちと再検討することも喜んでしていた。ただし、真に水瓶座的なことではあるのだが、アップルビーがきちんと相手にしたのはごく少数の同僚ばかりであり、そのアップルビーに強い印象を与え自身の意見を変えさせることができたのもまたこの少数の人たちだけであった。

この少数の人たちとはアップルビーは積極的に議論を交わし、この技術の基盤をめぐって真剣に意見を戦わせた。事実、ラデイカリティの本質、占断する前の制限、第三者による質問、また二次的なシグニフィケーターなどについて、大きな意見の相違があったのである。私は「意見を戦わせた」(wrestle)という言葉をここで用いていたがほとんどの場合、アップルビーの権威は揺るがないままだった。私の記憶に強く残っているのは、アイビィ・ゴールドスタインーヤコブソンによる、まったくもって非伝統的な、しかし素晴らしい「度数によるミューチュアル・レセプション」の解釈に関するものであった。これを用いればしばしば、パーフェクションの構図が変わってきてしまうのである。最終的にアップルビーは、この技法によって示される申し分なく鮮やかで真実を示す判断をもって、私たちを遇の値も出ない形で納得させてしまった。それ以来、アップルビーはしばしばこの手の有効性を、ルーラーシップ、混合レセプション、ミュチュアル・エグザルテーションといったものともに示してきたのであった。結果としてこの技法は、私自身の実践でも、あるいはカンパニー・オブ・アストロロジャーズと関わりのある占星術家たちにとっても、基本的なこの技術のツールとなっている。

デレク・アップルビーのホラリーのスタイルを理解、評価するにあたって、占星術全般、とくにホラリーの実践を、二つの大きな態度の極があるという視点で眺めてみることをおすすめしたい。熟練者はその二つの極の間を自在に行き来することができるだろう。ただし、どちらかの極に行き過ぎてしまって失敗することもない。しかし、実践者は各自、両方の態度を学ぶ必要があり、片方のみに偏らないようバランスをとることが求められる。この二つの極とは私が「開放」形と「閉鎖」形と呼ぶものである。アップルビーの占星術は開放形への強い指向性をもっている。アップルビーは、「ルールは一つのガイドであらねばならず、信仰の条項ではない」(p160)のである。これはこの技芸の自由度を大いに増大させる。ケースによっては比較的、緩やかな判断を招くだろう。このアプローチは実際的である。大きな決定権は、シンボルの現れに導かれる占星術家の直感に置かれることになる。

 これと対照的なのは、閉鎖形の志向でルールの変更については限られた自由度しかない。これはよく定義されたモデルを提供しルールを固定的で正典とみなす。結果、これはドグマ的に傾いてゆくだろう。この指向性の最悪の失敗は、固定された技法に落ち込んでしまい、ホラリーの技法とはある種のアルゴリズムであると還元論として考えてしまうことである。閉鎖形のアプローチは細密な技法を示し、シンプルで明朗なチャートの有効性を示すことができる。シンボルと、解釈される状況が真に合致するのである。したがってこれは、教育用としてはまさに理想的な表現、教材となるだろう。しかし、実際の応用としてはこのような事が起こる事例は限られている。閉鎖系の実例は、しばしば占星術家の実践の最初の時期に現れてくる。あたかもホラリーのルールの明晰さ、確かさを一度きりの見事な例で見せてくれるかのようである。この希な現象は、アップルビーのテクストに幾度か登場している。

初心者の段階を過ぎると、開放形のアプローチが日々の難しい状況での実践の中では適してくるようになる。ただ、こうした場合にはチャートの有効性がしばしばはっきりせず、疑問が残るようなこととなる。もし開放形の態度が行き過ぎると、シンボルとのしっかりした繋がりが見失われ、主観的、こじつけのようなものとなって、結果の説得力はなくなってしまう。このような例は現代のホラリーをめぐる言説にいくらもみることができる。

 この二つの極のことを頭においておけば、不毛な諍いは避けられアプローチの相違を適切に認めることができるようになるだろう。またこの二つの相違の認識は、熟練の実践者がアップルビーのテクストを再読するためにも役に立つはずである。ことあるごとに、アップルビーは、実践者は個別のケースごとに現れるチャートに導かれるべきであり、ホラリーはこのように作動するものである、という先入観を退けるべきであるという。占星術家は「天の知恵に頭を下げるべき」(p29)であり、チャートが語ることもあれば、語らないこともあるということを受け入れるべきだというのである。(p85、また174)真のシンボリズムは占星術家の心にある絵を描き出す(p115)そしてチャートの中の重要なポイントは、「もしあなたの目を射止めることがあったら」注目しなければならない。(p20)このコメントは、トランスサタニアン天体について言われているものである。こうした場合以外には、アップルビーはトランスサタニアンには、マイナーな役割しか普段は与えていないのである。すべてのケースに当てはまるような唯一のアプローチなどは存在しない。とはいえ、アップルビー自身、正典のような条文に立ち戻っていることもある。例えば、ライツ(太陽と月)のパーフェクションは、ほかのシグニフィケーターをすべて凌駕する、といったものである。ただし開放形の特徴であるシンボリズムの隠された性質はほのめかされてきた。アップルビーはいう。天は秘密を隠している。よき信念に導かれた占星術家は、その暗号をとかねばならないのである、と。(p9)

このようなことを頭におきつつ、私が読者の皆様に願うのはこの驚くべく書の中の実例に触れていただくことである。ここには素晴らしく愉しいシンボルの躍動と、占星術の判断の職人技がある。デレク・アップルビーのこの新しい版は、私たちの技芸のうちの極めて素晴らしい一分野(ホラリー)を探求する新しい世代の学徒の心を刺激するものになると信じてやまない。



Horary Astrology, the Art of Astrological Divination by Derek Appleby(2005-11)




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