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「鏡の視点」とは
鏡リュウジが何を感じ、何を思考しているか。気楽なものからレクチャー的要素もからめた雑文コーナー。海外のアカデミズムの世界で占星術を扱う論文などの紹介も積極的にしていく予定です。

Character is Destiny? 占星術におけるダイモーンの感覚をめぐって3
2021/8/1


ダイモーンの働きとしてのホロスコープ体験

 現代のユング派の心理学の中にもこのダイモーンは継承されている。ユングは、あたかも古代の新プラトン主義者のように、半ば内なる、そして半ば外なる自律的なさまざまな霊的人物と対話していた。(※30)とりわけ、ユングにとって心理―霊的なグルとも言えるフィレモンは、ユングにとっての個人的ダイモーン像であったと言えるだろう。
 こうしたことを受けてユング派の心理学者であり、また元型的心理学の創始者ジェイムズ・ヒルマンは、古来のダイモーン論を援用してベストセラーとなった『魂のコード』を著した。(※31)
『魂のコード』には占星術への直接的な言及はないが、ヒルマンはフィチーノの占星術をよく知っており、また個人的にも占星術に親和的でもあるのでこの書の背景には占星術があると見てよいだろう。(※32)ヒルマンは、人間を「生まれによる遺伝と育ちの環境」のプラモデルとみなすような近代の人間観を否定し、プラトンの神話に立ち返り、その人だけのかけがえのない「たましい」という形相、ダイモーンが最初から存在するとイメージしてみてはどうかと提案する。むろん、これはレオや、現代の多くのニューエイジの唱導者たちがいうような、ナイーヴで実体的なものではない。あくまでもパースペクティヴ、メタファーとしてのダイモーン論ではある。しかし、それは単なる空疎な空想ではなく、イマジナルな実在としてのダイモーンなのである。
 ヒルマンはダイモーンという言葉を召命(コーリング)や運命、性格、魂、ゲニウスと自由に変換して用いることができるという。だが、イアンブリコスが言ったように、ダイモーンを定義し、その働きを意識によって見極めることはできないとヒルマンは述べる。
合理的には定義不能なダイモーンの働きはある種の強迫的なまでの力、運命の力として体験される。

「ダイモーンはあなたを動機付ける。ダイモーンは守る。ダイモーンは作り話しをし、執拗なまでに何かに取り組ませる。ダイモーンは妥協を許さず、しばしば本人に逸脱や奇行を強いることもある。ダイモーンは安らぎを与えたり逃げ場を作ったりもするが、無邪気なままでいさせることはない。肉体を病気にさせることもある。ダイモーンは…人生の流れのなかにあらゆる過ちやギャップ、節目を作り出す」(※33)
 
どうだろう。このダイモーンの働きは運命の神秘を身近に感じている占星術家には皆お馴染みのものではないだろうか。僕たちは人生に悩むとき、「わかっているけれどやめられない」「絶妙なタイミングでの偶然の出来事の介入」「今の自分への違和感」というかたちでダイモーンの働きに翻弄されるのではないか。

 僕自身のことを思い出してみる。僕は27歳の頃、人生で大きな「挫折」を経験している。高校生のころから雑誌に星占いの原稿を書いていた僕は、景気がよかった時代でもあったこともあり、大学院で修士号を3年もかかってゆっくりとりながらも学業・研究とメデイアでの占星術を楽しんでいた。しかし、博士課程に進もうとするとき、大きなミスをしたことに気がついたのだ。愚かにもほどがあるのだが、なんと博士課程への願書を提出し忘れていたのである。自分で言うのもなんだが、成績はよく、教授たちからも覚えがよかった。「では来月また」と、最終諮問で教授たちはにこやかに送り出してくれた。だが、願書が提出されていなかったのだ。この単純な、しかし大きな事務上のミスによって僕の将来の計画は大きく狂った。僕は狼狽した。が、ありがたいことに、教授たちは大いに心をくだいて下さり、特例で非常勤助手のポストを与えてまでくださった。将来のことを考えてアカデミック・キャリアにブランクがあかないようにという特別なはからいである。
 だが、僕は享受していた占星術や魔術関連の仕事を辞めることはできなかった。そして1年がすぎるころ、指導教官から「メディアでの仕事を辞めるか学問に専心するか」という選択を迫られたのである。
 私的なことなのでここで詳しく述べることは控えるが、僕が下した決断は「ここでいったん大学から離れる」というものだった。しかし、覚悟を決めたわけでもない。僕のアイデンティティは大いに揺らいでいた。そのときに見た夢が印象的である。夢のなかで僕は、自分のアパートにもうひと部屋あることを発見する。そこにはコンピュータとプリンタがある。プリンタからはどんどんホロスコープが吐き出され、部屋に積み上がってゆく。その時僕は感じたのだ。「ああ、僕がもしこの部屋に行かなければ読まれないままであるホロスコープが溜まっていってしまう」。
 そこからである。それまでのバイト的な気分から本腰をいれて仕事に取り組まなければいけないと感じるようになったのは。そのとき、ちょうど天王星と海王星はほぼ同時にDESに乗り、第9ハウスのカスプの上の太陽の上を正確に土星がトランジットしていった。プログレスでは牡羊座で新月が起こり、およそオーブ1度半から2度で出生の火星・土星・MCと合になる。きわめてシンプルな占星術であるが、星のシンボリズムは鮮やかにアカデミック・キャリアの一つの区切りと社会的な仕事への責任ある、しかし、未知の世界へのスタートを示していた。
 だが、このような動きはその1年前の、願書の出し忘れという失策行為がなければおこらなかったかもしれない。願書を出し忘れたのはもちろん、僕自身だ。誰のせいでもない。しかし、意図してやったわけではない。フロイトの言うような逃避のための失策?そうとも言える。が、もしこの逃避がなければ、今、僕はここでみなさんを前に占星術を講じたり、著述をしていることもないだろう。していたとしも、もっと「ガクモン的に」、外在的にしか語ることはできない立場にいたかもしれない。僕にはこの失策こそダイモーン的だと感じられるのである。
 もっとも、それが「善きダイモーン」であるのか、人生を誘惑する「悪しきダイモーン」であるのか、今尚わからない。こんな人生でよいのか。正しいのか。不安はなくなりはしない。とくにそれは僕の「ダイモーンのロット」が「悪霊のハウス」である12ハウスにあるというアンビバレントな位置にある事とも関係があるかもしれない。だがこの葛藤こそ、ダイモーンの声との格闘こそが人を前に進ませ、人生を導いているのは確かである。エウダイモーンとはけして安寧だけではあるまい。
 ダイモーンは、半分は魂からの内なるもの、そして半分は星からの外なるものである。それは不可分である。プラトンの神話では運命の籤は籤という偶然で選ばれる一方で、「自分自身がダイモーンを選ぶ」というパラドキシカルな表現をされていることも思い出そう。
 占星術は1枚岩ではない。運命に対しての捉え方も、完全な決定論から完全な自由意思論まで、占星術家の立場によって多様である。自由意思と運命のパラドクスに単純な答えはない。
 ここで僕は思うのだ。もし全てが前もって決められているなら占いの意味はない。また完全に自由であるなら、それは自我の引いた青写真のままに人生が進むだけであって、それは最初から「計画どおり」であり、むしろ自由はない。そこに偶有性はない。逆説的だが、僕たちは真の意味で自由であるために、自律的で気まぐれで予測不可能で、しかも運命決定的なダイモーンを必要としている。
 ホロスコープを見つめる僕たちは、何かしら運命の感覚を持っている。運命はあたかも人格的で自律的、「他者」なるダイモーンとして僕たちを思いがけない方向に導くように感じられる。しかし、「自分の星」の動きの中に、星の天使としてのダイモーンの働きをかすかに感知することができるのは占星術の素晴らしい恵みである。そして、その運命と自由意志の、永遠に解けそうもないパラドクスの中に、かけがえのない、何ものにも還元できない自分自身の固有性、自分の人生の一回性を見出すのではないだろうか。むろん、これとて現時点における僕の一つの解釈にすぎない。
 Character is Destiny. レオが提示した矛盾に満ちたこの句は、これからも占星術家にとっての大いなる「公案」となっていくことだろう。

鏡リュウジ


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※30 『ユング自伝』を見よ。またその内的作業の記録は『赤の書』として公開されている。

※31 ヒルマン、前掲書

※32 ヒルマンは実際、占星術に深い関心を示している。Dick Russell The Life and Idea of James Hillman Helios Press 2013などを参照するとヒルマンが占星術に親しんでいたことがわかる。また占星術家として活躍中のローレンス・ヒルマンはジェイムズ・ヒルマンの息子である。

※33 ヒルマン 前掲書 p63

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